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ハワイ旅行2日目 後編

戦艦アリゾナ記念館

アリゾナ記念館 入り口
ホテルに荷物を預けると クヒオ通りからバスに乗ってパールシティーで出かけます。高速道路を利用すると25分ほどで着くのですが バスは一般道を通る上停留所も多いので1時間かかります。バスの座席は固いので 尻が痛くなりました。

で着きました。戦艦アリゾナ記念館です。

U S S Arizona
Memorial

USS Arizona - Pearl Harbor Commemorative 1941-2001

Arizona Memorial Museum Association

 


この衛星写真では、ボウフィン号は写っていない。理由は不明。メンテナンスか?
写真下の桟橋で、アリゾナに行くことになる。

魚雷
魚雷です。場内至る所にありました。通常の魚雷の他 電気推進式魚雷やハプーンミサイル、果てはトマホークやポラリスミサイル(潜水艦発射用核弾頭ミサイル)まで展示してあります。

この魚雷は潜水艦発射用の通常魚雷で 5000トンくらいの艦船なら1発で撃沈出来ます。後に出てくる航空機搭載用の魚雷なら1発の威力は半分程度になります。

潜水艦ボウフィン号 入場料は安くない・・・
第2次世界大戦に活躍した潜水艦ボウフィン号です。
内部の見学は4歳以下は不可でしたので 入りませんでした。


40ミリ対空機関銃です。アメリカ艦艇の主要対空兵器でした。日本軍はライセンス生産した25ミリ機関砲を主に使用していました。

機関砲といっても弾頭に火薬の入った炸裂弾ですので当時の戦車なら撃破できる威力があります。これは4連装ですが4つとも同時に発砲できるわけではありません。弾倉の交換/装填も必要なので同時に発砲できるのは2丁ぐらいだったと思います。


これも魚雷ですが 超巨大サイズ。炸薬はなんと1800キロ、命中すれば現代のニミッツ級原子力空母(10万トン)も一発で沈んでしまうでしょう。(みなみに日本の自衛艦が装備している短魚雷の炸薬は僅か44キロです。)

ご存じの方も多いと思います。人間魚雷”回天”です。中に人間が乗って そのまま艦艇に突っ込むで自爆する特攻兵器です。操縦が難しく 一度発射したら2度と帰ってこれないこともあり、大した成果は上げれませんでした。
確実な戦果としては ミネシワというタンカーや駆逐艦アンダーヒル(1400トン)を轟沈させています。
搭乗されていた方の心情をお察し致します。

周南市回天記念館


戦艦ミズーリ



見学者センターからは沈没したアリゾナの上に作られたアリゾナ記念館が見えます。そこに行くには シャトル船に乗るわけですが その前に・・・
その横に係留されている船・・・・・戦艦ミズーリです。

簡単に説明すると太平洋戦争中に建造されたアイオワ級戦艦です。多くの戦艦と同じように 日本艦隊と直接交戦したことはありません。空母の護衛が殆どですが 大戦末期には日本本土を直接砲撃したりしています。室蘭や北海道、東北への砲撃を行ったとされています。


太平洋戦争後にベトナム戦争・朝鮮戦争にも参加。その後近代化改装され ミサイル戦艦として生まれ変わり イラクのクエート侵攻の時にも参戦しています。

さすがに老齢艦となり 維持費も掛かるので退役して保存艦となっています。この船で日本の降伏調印が行われたことは有名ですね。

日本は 戦艦から空母への転換が遅れ戦艦大和などを建造しているから戦争に負けたというのは間違いです。日本がワシントン条約破棄後に建造した戦艦は 大和・武蔵の2隻だけです。

アメリカはアイオワ級4隻・ノースカロライナ級2隻・サウスダコダ級4隻・アラスカ級2隻の計12隻を建造しています。またそれ以外にも未完成艦が少なくとも4隻以上あります。(建造中止解体)戦後約半分が解体されましたが もう半分はアメリカ各地で保存艦として大切にされています。


ミズーリ(左下)とアリゾナ(上中央)


記念館は写真の右上隅になります。
フォードアイランドには、現在は橋が架けられており、バスでミズーリに移動します。
フォードアイランドの中央の広いスペースが飛行場跡です。ミズーリは島の右上部分に稽留されています。


ミズーリに行くには専用トロリーバスにのります。

フォード島はアメリカ海軍の敷地となっているので撮影は禁止です。太平洋戦争中はフォード島は島の殆どが舗装されて大きな航空基地となっていましたが 現在では軍の住居になっているようです。滑走路の跡は 広い草原になっていました。衛星写真をみても、たいした軍事施設はありません。


パールハーバーの入り口の造船所
潜水艦が2隻、入っていました。メンテナンス中なんでしょう。ボウフィン号ではありません。
またパールハーバーの南西には弾薬庫もありました。


弾薬庫
これだけでも広さは4平方キロくらいある。

 


40センチ砲弾です。水中弾の事はアメリカは知らなかったので尖頭弾となっています。横の名簿は ミズーリ号の保存に対して資金を提供した方々のリストかな?

Official home on the internet for the Battleship
Missouri Memorial in Pearl Harbor, Hawaii


戦艦ミズーリ。艦橋はシンプルです。艦橋の上にある塔は見張り台と測距器でしょう(測距機;光学的に目標までの距離を測定するモノ)
戦艦大和は15メートル測距機を搭載していましたが ミズーリのモノは10メートル位でしょうか?


岸壁には40センチ砲の薬莢や12.7センチ砲弾が野積みされていました。
(※薬莢:弾を発射するための火薬を入れておく筒。発射時に砲弾と一緒に砲身に装填して点火します)


幅が狭いこともあり おもったより小さな船でした。長い艦首も それほど印象には残りません

2番主砲の横のスペースで太平洋戦争の降伏調印が行われました。その場所には記念プレートが埋め込まれていますが 広さはそれほど広くありません。

調印に望んだ旧日本軍人の方も”大和の2番主砲の横はテニスコートほどもあったのに・・・”と書物で記載されていたのを見た記憶があります。


クリックするとでかい写真に
(クリックすると 大きな写真になります)
一番主砲もの横に立っているのが 私の家族です。人間の身長と比較してみてください。一番主砲の前にある白い四角のモノは船倉のハッチです。手間のバルブは 何のバブルか判りません。

40センチ砲は射程をのばすため50口径とされました。砲身は日本軍と比較して単純な構造で振動が大きく、細長すぎる船体もあり命中率自体はあまり良くなかったようです。

しかし建造当初より射撃用レーダーシステム(日本軍は最後まで実験の域を出なかった)を装備していました。よく大和級とアイオワ級が1対1で勝負したら・・・・というたとえ話がありますが 私は大和クラスが負けると思います。

レイテ沖海戦でサマール島沖を航行中のアメリカ護衛空母を日本戦艦群が砲撃するという珍しい機会がありましたがスコールや煙幕に遮られて大敗しました。見えない目標は狙えない・・・という事です。大和型も射撃用レーダーをレイテ海戦時に装備しており これを利用してアメリカ護衛空母に射撃を数回行いましたが 命中弾は得られなかったようです。ではアメリカの射撃用レーダーは優秀だったかといえば 必ずしもそうではなかったようですが 日本のよりは性能は良かったとされます。


前方にはアリゾナ記念館があります。
その手前には一緒に沈没した戦艦の名前を書いた波止場のようなモノがあります。

戦艦などを係留するのに使用されたようです。真珠湾攻撃の際に 係留されていた戦艦の名称が記入されています。


甲板は ほぼフラットです。復元力を増すために作られた大和坂はありません
(訳のわからない人は読み飛ばしてください)


主砲等のハッチは 後側の下面にあります。

メンテナンスすれば打てそうですね
主砲等の内部(入れません。カメラだけ手を伸ばして入れて撮影しました)


ブリッジの中です。
ここは非装甲部分です
装甲部分の司令塔はブリッジの中に埋め込まれています。
その司令塔の中に操舵室などがあります。

上の写真の直ぐ後ろに 装甲に覆われた司令塔があります。
艦橋の室内に司令塔があるわけです。
矢印が舵輪です。

司令塔の中(立ち入り禁止)

ブリッジの屋上部分に司令塔は突き出ており ここにはヘルメットを装着して入ることが出来ます。
潜望鏡のようなモノがあり 夜戦用艦橋でしょうか?

艦橋からの眺め
太平洋戦争末期には 2番主砲塔の上にも先に紹介した40ミリ4連装機関砲が2基設置されていましたが その後の近代化改装で撤去されています。


艦内部です。2番主砲塔脇のハッチを入ると このような部屋が続いています。
下には降りれません。

パソコンも至るところに設置してあります。

見学できるのは最上甲板の上の構造物のみ。下に降りるハッチはご覧の通り


煙突付近に位置する場所ですが 上級士官や下級士官の兵員室ばかりです。
この区画に兵員室を設けることは驚きでした。
日本とアメリカの考え方の相違ですが
日本は個室ももらえる上級士官の部屋は艦中央部にありましたが
それ以外の兵員室は艦の前と後に分けられてました。
そのほうが防御の点で有利だからです。


展示室もあります
全て英語ですが・・・・

太平洋戦争当時のミズーリの模型もあります。


艦内は冷房が効いて快適です。
勿論機関部は死んでいますので 陸上からの外部電源です。

食堂
唯一最上甲板の下に降りられる場所です。

3番主砲付近の下は食堂と厨房になっています。広さは艦の幅いっぱいで長さも非常に長いです。戦艦大和ではここのスペースは水上観測機の格納庫になっていましたが ほぼそれに匹敵するスペースがあります。

(もっとも実際は戦艦大和の格納庫は 対空兵器が大幅に増設された為に定員が増えて その兵員室として使われたようです)


ジュースも自由に飲めるようになっていました。
メニューはコーラ・ダイエットコーラ・スプライト等々 現代と同じです。


艦橋の後ろ・煙突の前方に 一部の高角砲を撤去して作られたトマホーク(巡航ミサイル)発射機があります。4連装が4基あります。横の甲板にはトマホークを運び揚げる専用エレベーターがあります。恐らく高角砲の弾薬庫を流用したのでしょう。

イランのクエート侵攻の時の”砂漠の嵐作戦”では ここから多くのトマホークがイラクに打ち込まれました。今ではジュースの自動販売機が置かれています。横にあるのは40センチ砲弾の薬莢を流用したベンチです。


2連装12.7センチ砲塔です
全部で10基 合計20門設置されていましたが
トマホーク搭載のために 4基取り外されました。

12.7センチ砲といっても127ミリ砲ですから 現代の最新鋭戦車と同じ口径です。


12.7センチ砲塔の内部
中には入れません。
発射装置は太平洋戦争後のままではなく 改装されて自動化されているようです。


近代化改装で 全ての40ミリ機関砲は撤去されました。

代わりに設置されたのが写真のファランクスです。
20ミリバルカン砲で 白いドームの中にレーダーが入っています。
マッハで飛ぶミサイルやジェット機を打ち落とすことが出来ます。全部で4基設置されています。発射速度は毎分3000発のモデルと4500発のモデルがあります。もっとも弾倉は1000発前後しかありませんので30秒で打ちつくしましまいます。発射速度はスゴいのですが 所詮20ミリ弾なので射程が短く約1.5kmしかありません。準音速で飛ぶミサイルの場合 射程に入って命中するまで数秒しかないので最近ではこの兵器は対空防御兵器としては役不足とされています。

太平洋戦争時のように 数百機の飛行機に攻撃されると・・・・弾切れでやっぱり沈められますね(笑)


もっともミズーリが攻撃を受けたのは 太平洋戦争の末期 沖縄で空母部隊を守備中に神風特攻隊の攻撃を受けたのが最初で最後でした。

250キロ爆弾を抱えた零戦が突っ込んだのですが 突入角度が浅く 爆弾は炸裂せずに跳ね返り海中に没しました。甲板上には零戦の翼や胴体の破片が降り注ぎ 操縦者の遺体も甲板上に残されたそうです。(翌日 水葬にされたと伺っています)

3番主砲塔 結構最上甲板から高い位置にあります。
これ以上低くできなかったのでしょうか?重心の面で不利だと思うのですが・・・
ここの甲板の下が食堂になっています。

クリックすると大きな写真になります。

クリックすると大きな写真になります。

 

クリックすると大きな写真になります。

個人的には火薬庫やボイラー室・タービン室・舵取り機室等が見たかったのですが 甲板から上の構造物の見学が殆どでイマイチでした。

階段は非常に傾斜がきつく 一般者の見学には向いていないからでしょうか?

機関室ともなれば甲板を3つ程降りないと辿り着けないはずですから やっぱり無理ですかね。

左の図のように この戦艦の機関室はシフト配置になっており中央に隔壁がありません。(クリックすると大きな写真になります。)断面図


戦艦アリゾナ

シャトル船


フォード島からトロリーバスで戻り 今度は見学者センターからシャトル船に乗り アリゾナ記念館に向かいます。ここは元々日本人観光客が少なく アメリカ人が殆どです。慰霊碑の要素も強いので娼婦のような格好では行かない方が良いでしょう。

記念館 外観
戦艦アリゾナについても説明しましょう。ワシントン条約が施行される前に建造されたペンシルヴァニア級の旧タイプの戦艦です。日本で言うと伊勢・日向・山城・扶桑あたりの戦艦です。速力は僅かに21ノット。(大和は27ノット・赤城は31ノット・ミズーリは33ノット 1ノットは時速1.4キロ)
35センチ砲を3連装4基搭載していました。

3万トンの旧式戦艦です
1941年12月7日 真珠湾を攻撃した旧日本海軍の96式艦上爆撃機がこの戦艦アリゾナに爆弾を投下しました。この旧式戦艦は甲板の装甲が薄く 爆弾は装甲を貫いて前部火薬庫で爆発。火薬庫の装薬や砲弾が誘爆を起こし僅か命中後9分でアリゾナは轟沈しました。

爆沈するアリゾナ
戦艦は砲弾を発射するときに使う装薬や砲弾を多量に積んでいるので火薬庫に火が入った場合は轟沈は必須です。イギリスの巡洋戦艦フッドが ドイツのビスマルクが放った38センチ砲弾で同様に火薬庫の爆発を起こして轟沈したのは非常に有名です。フッドの場合は生存者僅か一名でした。

ワシントン条約が破棄された後に各国で建造された戦艦は航空機の発達や各戦艦の主砲発射仰角の増大に対処摺るため、垂直防御にも重点が置かれるようにありました。それ以前の戦艦はアリゾナを含めて 水平甲板の装甲は薄く 爆弾や遠距離から飛来する砲弾には弱い設計でした。

戦艦大和クラスの水平装甲甲板の厚さは20センチあり 10発以上の爆弾を浴びましたが火薬庫・機関部のあるバイタルパートは無傷でした。20センチといっても大和の場合、1番主砲から3番主砲までの長さ150メートル以上 幅30メートル以上を20センチの鋼板で覆うわけですから大変な重量になります。ちなみに垂直方向の装甲は傾斜をつけて設置されくさび状をしていました。一番厚い部分は41センチ、一番薄い艦底部分でも50ミリの装甲が使用されていました。

  アリゾナ 大和クラス ミズーリ
甲板の装甲 76mm 200〜230mm 121+32mm
舷側の装甲 343mm 410mm 307+22mm

 

記念館の中 なにもない
記念館の中。大した物はありません。奥には戦艦アリゾナで戦死した約1177人の名簿があります。真珠湾全体でも2388人しか死んでいません。

真珠湾攻撃で 湾内にいた8隻の戦艦のうち5隻が沈没していますが 転覆したアリゾナを除く4隻はその後浮上させられ戦艦オクラホマのみ修理断念、結局6隻が戦列に復帰しています。

また真珠湾攻撃による市民の死者は50人程度とされ 負傷者を加算しても100人程度です。その程度で大げさな・・・というのが私の感想です。

東京大空襲や広島・長崎の原爆では それぞれ10万人以上の一般市民が犠牲になっています。

その程度の数の人間は、アメリカは戦争後も今日まで ほぼ毎年殺し続けています。世界中が記念館だらけになってしまいますね。
沢山の方が死んだのは事実ですが その9割以上は軍人ですし戦争の上でのことです。一方でアメリカは民間人を多数殺してきたことにも目を向けるべきだと私は思います。そういった観点がアメリカには著しく欠けており それが今日の反アメリカ主義の高まりの原因の1つになっているはずです。

3番主砲塔のあと
アリゾナの3番主砲塔 比較的高い位置にあったので水面上に出ています。ここは砲撃の際の衝撃を受け止める部分ですし 弾薬庫にもつながる部分でもありますから厚い装甲を使用します。30センチくらいはあるでしょうか?


後部艦橋の跡でしょうか?記念館の真下です。帯状に見えるのが 今の漏れ続けているオイルです。3番主砲の脇の穴から 漏れ続けているようです。
海面を流れるオイルが判りますでしょうか?

この写真はミズーリがアメリカ本土から この地へ曳航されてきた時の写真です。


個人的には潜ってみたい(ダメか)

海面下に見える戦艦アリゾナの船体


火薬庫の誘爆した1番・2番主砲塔付近は ぐっしゃり潰れています。沈没後 艦橋・煙突・マストは海面上にありましたが 解体除去されています。(崩壊の可能性があるため)


3番主砲と4番主砲も除去され船体内部の装薬や砲弾は取り除かれているはずです。除去された砲塔は真珠湾攻撃で破損した同型艦のペンジルバニアに移植・再利用されています。

1番主砲塔がそのままなのは 既に火薬庫が爆発してグチャグチャになっているためです。

後半部分は綺麗ですね
わかりやすい模型 船体後部はほぼ保たれていますが・・・・(砲塔は取り除かれています)

前半部分は グッシャリ潰れています
火薬庫が誘爆した為 船体前部は潰れています。
1番主砲塔はほぼ原形をとどめていますが 2番主砲塔は台座部分しか残っていません。誘爆で吹き上げられて飛んでいったのでしょう

真珠湾の海底は柔らかい泥なので 船体は大半が泥に埋まっています。

Arizona Memorial Museum Association

空母赤城の模型 元々は重要戦艦として建造されました。
真珠湾攻撃に参加した旧日本海軍 航空母艦”赤城”

元々は巡洋戦艦として建造されましたがワシントン条約で各国の戦艦保有量が制限されたために 途中から空母に改造されました。

数度の改装を経てこの姿になっていますが 3段甲板を保有し20センチ砲10門を装備していた時期もあります。アニメ;宇宙戦艦ヤマトに地球に敵対するガミラス軍に3段宇宙空母という船がありますが そのモデルとなったのはこの赤城です。

真珠湾攻撃の後にインド洋のイギリス東洋艦隊を撃破。コロンボのイギリス軍基地を攻撃し事実上イギリス海軍をインド洋から撤退させました。ミッドウエー海戦で失策に次ぐ失策で 大破炎上し見方駆逐艦の魚雷で処分されました。

日本の航空魚雷
海底から引き上げられた日本海軍の航空魚雷。
今の貨幣価値に換算すると製造単価は1000万円以上します。

(ちなみにF−15は100億円します。消費税入れて105億円ですね。装備するミサイルも数千万円以上します。私がハワイに行くときにも使ったジャンボジェット、あのエンジンも4つで10億円以上します

 

ここで現地時間の午後4時頃になりました。
帰りにもTHE BUSを利用すると日が暮れてしまいます。

シャトルバス
ワイキキ行きのシャトルバスがあったので帰りはそれを利用しました。
1人4ドルですが仕方ありません。


アラモアナ・ショッピングセンター

アラモアナ・ショッピングセンターで途中下車。200店以上のショップやレストランが集まるハワイ最大のショッピングセンターです。

http://www.alamoanacenter.com/
ほんと アメリカサイズ
ここで夕食を取りました。
韓国料理も多く ビビンバを食べましたがタイ米を使用してあり石焼きビビンバでもないので今ひとつ。辛さだけは一品でした。ここのコーラーのでかいこと。。。
写真はMサイズですが500ミリリットル以上入っている印象です。

アラモアナ・ショッピングセンターを1時間ほどぶらぶらしましたが 高級品かガラクタしか売っていないので 何も買いませんでした。

再びバスに乗って移動。今度はトロリーバスです。券が無いか?と運転手に尋ねられたので”ない”というと2ドルで乗せてもらえました。(大人2人+子供1人)


FOOD PANTRY

FOOD PANTRY
クヒオ通りには カラカウア通りにはないスーパーマーケットなどもあります。
写真のFOOD PANTRYは 24時間営業ですから何かと便利。
2リットルはでかい
そこで食料の調達をしました。
日本では売っていないサイズのコーラ。2リットル入りで1ドル55セント!!!
安すぎ!。味も微妙に日本とは違います。

日本で350ミリリットルを130円で売ってるのは何???
いろんな牛乳が売ってました
牛乳です。2ガロン(約3.78リットル)で6ドル程度
我が家では牛乳をよく消費します。
この旅行でも3人で6リットルを消費しました。種類もいろいろありました。


寝る前にデジカメのデーターをノートパソコンに移しておきます。
メモリカードの容量は30MBしかないので・・・

ついでに空きの少なくなったノートパソコンのHDDを整理しておきます。
これが翌日 大失敗と判明します。

今日はここまで お休みなさい。

 
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